鉄板&居酒屋 やまちゃん
   
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 山本 聖悟

2008/05号

兜 かぶと

私は小さい頃、こいのぼりをあげてもらった記憶はありませんが、兜の五月人形を買ってもらった事を、うっすらとおぼえています。飾りなのに、頭にかぶって遊んで、壊してしまったような気もします。成績が上がった時、何かを達成した時、兜を買ってくれた父は、いつもこう言っていました。
「勝って、兜の緒を締めよ。」
壊して、無くなってしまった兜は、いつも私の心の中にあります。
十 何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。   箴言4:23

2008/02号

手づくり

 私がバレンタインに手づくりチョコをもらったのがきっかけでパティシエの道を選んだ事は、以前にも書きましたが、その道が鉄板焼きに変わってからも、手づくりのすばらしさを感じる事ができます。それは、「おいしい(^v^)」という時のお客様の笑顔を見る事ができた時です。それを見たくて、私たちは日々、色々な事に努力するのかもしれません。現代のように大量生産が当たり前の世の中で「手づくり」が大切にされるのは、私たちもまた、神様の「手づくり」であるからではないでしょうか・・・?
 十 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。 創世記2:7

2008/01号

お年玉

「お母さんが貯金しとくからね。」と言われて預けたお年玉が、いつの間にか無くなっていた・・・というのは、よくある話ですが、親が自分がもらったのと同じ位のお年玉を、他の子供にもあげていた事に気付いたのは、私が親になった時です。それを思うと、子供のお年玉を親が預かるのは、当然かもしれません。しかし、それを自分で使いたくなった小学6年生の時の私は、お年玉を全部財布に入れて、とてもリッチな気分でゲームセンターへ行きましたが、案の定ほとんどのお金を盗まれてしまいました。(:_;)人は、数々の苦い経験を通して、お金の管理ができるようになります。それと同じように神様から預かった時間を大切に賢く使う事ができるようにと、この子年の正月に願います。

十「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。」 マタイ25:21

2007/12号
最初のX’masプレゼント

昔々、サンタクロースのもとになった人がいました。セントニコラウスというクリスチャンです。若くして莫大な財産を相続した彼は、キリストの教えに従い、それを貧しい人々の為に使おうと考えました。あるX’masの日、お金に困っていた家庭に札束を投げ入れると、偶然干してあった靴下に入ってしまいました。最初のサンタのプレゼントは、現金だったんですね!?それから街の人々は、その行いを見習って、大切な人や困っている人へX’masプレゼントを贈るようになり、子供たちは靴下をぶら下げて待つようになりました。ニコラウスの精神は、今でも私たちの心の中に生き続け、X’masの日は、誰もが優しい気持ちになれると思います。それは、本当のX’masプレゼントが「神の愛」であるからではないでしょうか?

 十今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 ルカ2:11

2007/11号

真夜中のLove song

 誰しも人生に”真夜中”があると思います。それは、人生の”どん底”と言える時かもしれません。しかし、そんな時に喜びの歌をうたっていた人達が約2000年前にいました。キリスト教最初の海外伝道者、パウロとシラスです。彼らは、「救いの道」を宣べ伝えていたために、何度も鞭で打たれ、足かせをはめられ、牢に入れられていたのです。そんな中でも彼らは、十字架と復活によって、救ってくださった、主イエスに賛美と祈りを捧げていたのです。その結果、突然奇跡が起こり、牢の看守とその家族までもが救いへ導かれました。私にも、人生の”真夜中”がありました。それは、真っ暗でひとりぼっちだったけれど、暗闇の中で光に気づき、私は決してひとりではないという、愛の歌を聴いたのです。
 十真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。
使徒言行録16:25

2007/10号

ビッグロマンス

 私は、身長に小さい頃からコンプレックスをもっています。小中高と身長順に並ぶと、いつも前から2番目でした。今でも、私より身長が低い人は、滅多にいませんし、「もう少し背が高かったら・・・」と思う事がよくあります。しかし、ある時新聞記者のお客さんが言われました。「体の大きさでは、ないでしょう。どの位大きな舞台を演じられるか、どうかです。ビッグロマンスを・・・。」

 十 主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映る事を見るが、私は心によって見る。」  サムエル記上16:7


2007/09号

夏の終わりに

私が5才位の時、夏の終わりに家族5人で海へ行きました。遊びに夢中だった私は、家族とはぐれてしまい、夕方になった海岸は、ひとっこひとりいなくなってしまいました。ひとりぼっちになった私は、親は、私をすてて帰ってしまったのだろうか・・・?これからは、ひとりで生きていくのだろうか・・・?などと、考えた事を覚えています。しばらくして、おまわりさんに見つけられ、家族の所へ連れて行ってもらった時、両親が心配して、私を捜してくれていた事を知りました。今では、これ以上の愛を知っています。人生にさ迷っていた私は、神様に見つけられたのです。

 十 あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。 ルカ15:4


2007/07号

チャンピオン

あなたは、チャンピオンです。あなたがこの世に生まれたのは、過酷な闘争の勝利の結果でした。そう、あなただけが、その闘いで勝利を収めたのです。あなたに先立って、道を切り開いてくれた人や、あなたを後押ししてくれた人々もいたかも知れませんが、たった1人、あなたは選ばれし者です。あなたがたった1つの目標(卵子に到達すること)に挑んだ億千の闘いに比べれば、目前に横たわる問題など、物の数ではありません。
 あなたは、すでにチャンピオンに生まれついているのです。
十あなたを造り、母の胎内に形づくり あなたを助ける主は、こう言われる。
 恐れるな、わたしの僕ヤコブよ。 わたしの選んだエシュルンよ。   イザヤ書44:2

2007/06号

雲のかなたに

今年も、梅雨の季節が近づいてきました。とても大切で必要な季節だという事は知っていますが、私はこの季節が嫌いです。私は、青空が好きだし、雨が降ると自分に都合の悪い事が多いせいかもしれません。人生にも同じように自分には都合の悪い事、悲しみや苦しみが起こります。目前の試練に遮られて、明るい未来を見失い、祈る事すら忘れてしまうこともあるでしょう。しかし、止まない雨はなく、試練の向こうには、いつも明るい未来が広がり、希望は光輝いています。
 十 今、光は見えないが それは雲のかなたで輝いている  ヨブ記 37:21

2007/05号

母の祈り’07

私の母は、人に自慢できるような人ではありません。しかし、父と離婚して、離れて暮らしていた12年の間、私と妹の写真に手を置いて、いつも祈り、私が今までで一番苦しかった時、一生懸命、祈ってくれました。また、人が生きていく上で、一番大切な事を教えてくれた人です。
一緒に仕事をしていると、ムカつく事もあるけれど.....お母さんの息子に生まれて、よかったよ。
 (彼女は)力と気品をまとい、未来にほほえみかける。口を開いて知恵の言葉を語り、慈しみの教えをその舌にのせる。
箴言 31:25.26

2007/04号

必要とされること

今から12年前に、人情屋台という所で鉄板焼の仕事を始めました。深夜の仕事は、ラクではありませんでしたが、この仕事を3年続ける決心をした。きっかけは、「やまちゃんがいてくれて良かった。」という千里師匠の一言でした。そして3年経った時、その店を引き継ぐ幸運に恵まれました。
誰かに必要とされること、そして隣人にも「あなたがいてくれて良かった。」と言ってあげること、それが何よりです。神の目には、みんな高価で尊いのですから。
十親切な言葉は蜜の滴り。魂に甘く、骨を癒す。   箴言16:24

2007/02号

もの作り

  私が、食べ物を作る仕事を選んだのは、17才の時でした。生まれて初めて、バレンタインの手作りチョコをもらって、感激した私は、おかえしも手作りを贈ろうと思いました。その頃皿洗いのバイトをしていたレストランで、コックさん達に習いながら、初めてのチーズケーキを焼き、失敗をしながらも、なんとかホワイトデーに間に合いました。それを渡すと、相手は涙を流して喜んでくれたのです。その時私は、こんなに喜んでもらえるなら、自分の天職にしたいと強く思いました。その夢はケーキ屋を潰して、もろくも崩れ去りましたが、人々に喜んでもらうために、「もの作り」をするという気持ちは、鉄板焼という形になった今でも、少しも変わっていません。
 十「人にしてもらいたいと思う事を、人にもしなさい。」 
 ルカによる福音書 6:31

2007/01号

初詣

 4年程前から日曜日は、教会へ行くようになった私は、正月に初詣に行く必要がなくなりました。しかし、鹿児島の故郷へ帰った時は、よく初詣していた吾平山陵へ登り、この大自然を創られた神の事や自分の先祖へ想いを馳せます。その時の参拝者の長い行列を見る時、私達日本人の神を求める熱心さには感心させられます。その時の気持ちを年の途中や困難にぶつかった時にも、再び立ち上がり、自分の信じた道を歩み始めます。
 十 神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった。 創世記 1:31

2006/12号

十字架

 今年もゆっくりとクリスマスの灯りがともり始めました。クリスマスは、主イエス・キリストが私たちと同じように赤ちゃんとなって、生まれてくださった事を祝う日です。しかし、それと同時にあの恐ろしい十字架のはりつけ刑への道が始まりました。この十字架の救いの業が完了したのは、主イエスが33歳位の時だったと言われています。
 私も今年、その年齢になりました。誕生日が来ていきなり、自分では受け入れたくない事に直面して、心に深く傷みを覚えましたが、主イエスが私たちのために十字架を背負って歩いてくださった事を想う時、その事で愛する人々が笑顔になれるのならば、私も自分の十字架を背負って歩いていけるような気がします。十イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。
ヨハネによる福音書 19:17
 

2006/10・11号

四年の壁

以前、私が経営していたケーキ屋は、4年で廃業しました。その時のみじめさや心の痛みは、今でも忘れることが出来ません。しかし、この挫折を通して、今日まで私を支えてきた"見えざる手”がある事や、自分もその"手”に創られた大自然の一部である事に気付くようになりました。そして、私の人生は、やりたい事をやる人生からやるべき事をやる人生へと変えられました。大自然の声を聴き、自分の役割を果たす。周りの人々との温かな関わりの中で、巨大な悲しみの壁は、美しい門となったのです。
 涙と共に種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い喜びの歌を歌いながら帰ってくる。  詩編 126:5.6
 

2006/09号

あなたの旗振り'06

約10年前に、強いインスピレーションを感じた私は、ケーキ屋の時から引き続き、店頭で旗を振っています。それを見てご来店してくださる方が後を絶たない事は、本当に有難い事です。「あなたはなぜ、旗を振るのか?」と時々尋ねられます。理由は色々ありますし、楽な事ではありませんが、1つあげるとすれば、”自分でやると決めた事”だからです。さて、あなたにとっての”旗振り”は何でしょうか? ”あなたにしか出来ない事”それが周りの人々に喜ばれることならば、きっと、豊かな実を結びます。イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。」  ヨハネによる福音書 4:34
 

2006/08号

あなたをたたえ

先日のFIFAワールドカップで、色々な国の選手がゴールを決めた後に賛美の祈りや感謝の祈りを捧げているのを、数多く目にして、ハッとしました。日々の生活の中で、私は困った時だけお願いして、祈りが聞かれた時は、自分の力でやったと思ってしまいがちです。何かを達成した時、自分を誉め称えてしまうと、そこそこで終わってしまいますが、自分の創り主、すなわち大自然の力を誉め称える事ができたら、それは無限の力を引き出します。もし、称賛される事があったとしても、「私ではなく、私を創った神様がスゴいんです。」と言える人間になりたいと願います。「主をたたえよ 日々、わたしたちを担い救われる神を。」 ダビデの詩 詩編68:20
 

2006/07号

Α アルファ と Ω オメガ

 当店の新しいマークには、ギリシャ大文字の最初と最後アルファとオメガが十字架の両脇に入っています。これは、全知全能の神を表すシンボルです。人類が地球上に誕生してから、現在に至るまで、人々は次のような問答を繰り返してきました。「我々はどこから来てどこへ行こうとしているのか?」私もこの事についてよく考えますが、解りません。しかし、この店を始めた頃に、私の初めと終わり、全てを知り尽くす方がおられる事を知りました。私はこの創り主に毎日祈ります。そして、その祈りは、私の使命感をまっとうする為のアイデアを求める祈りでなければならないと、最近になって強く思います。
「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。」 ヨハネの黙示録 21:6
 

2006/06号

掛け替えの無い
 
 辞書でこの言葉を調べると、「代わりとなる人・物がないほど、非常に大切である。」と書いてあります。神様から見て、全ての人がかけがえのない存在であると、聖書は語っています。しかし、この事を自覚する事は、大変難しいことです。失敗した時、困難に陥った時、「自分はダメだ・・・」「必要とされてないのではないか・・・」と考えてしまいます。だから私は、自分を確認するために、毎日聖書を読みます。日曜日は教会へ行きます。そして、神様と同じように、周りの人々にとって、かけがえのない存在になれたら、人生でこれ以上の幸せはないと私は思います。「だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を求めなさい。」 コリントの信徒への手紙I 10:24
 

2006/05号

Dream

幼い頃の、あなたの夢は何でしたか?パイロット、スポーツ選手、ケーキ屋さん、お花屋さん・・・?
今でも実現したい夢やあなただけの使命があることでしょう。それが、大自然と周りの人々に喜ばれることならば、必ず実現します。叶えられない理由があるとすれば、ひとつだけ。それは、叶う前にあきらめてしまう事です。あなたなら、きっとできます。あなたの夢を信じて、今すぐ行動してください。
あなたの夢は何ですか?「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」
マタイによる福音書7:7
   

2006/04号
 
隆聖 -リュウセイ-

このタイトルは、もうすぐ6才になる、龍年の息子の名前です。高い目標をもって生きてほしいという願いと、私が背が低くて何かと苦労したので、背が高くなってほしいという願いをこめて、「隆」(たかいの意味)という字をあてました。そのせいか、木のぼりや高い所が大好きで、私の顔を見ると「肩車して!」と常に言います。また、この名前の音は、私が1年近く鼻と耳の病を患っていた時、病院で聞いたもので、それは苦しみの中で、とても力強い響きでした。
この子が、どんな使命をもって生まれてきたのか、私にはわかりませんが、自分の創造主を知り、その言葉を土台とする時、隆く強くなれる事を自ら感じとってほしいと、親馬鹿の父は心から願います。
「主に望みをおき、主の道を守れ。主はあなたを高く上げて地を継がせてくださる。」誌編37:34

   

2006/03号
 

私の代わりに

この頃は、卒業の季節であり、入試の合格発表の季節でもあります。私は、17年程前に県立高校を受験して、3月20日に発表があったと記憶しています。合格した人は午前中に、不合格の人は午後に登校するようになっていました。私は、午後に登校する事になってしまいましたが、学校へ着くと合格したはずの友達が私を待っていてくれました。すでに開き直っていた私が「どうしたの?」と聞くと、その友達は「どうしたのじゃないよ!」と言って、私の代わりに泣いてくれました。この頃になると、その事を思い出すと同時に、私の罪の身代わりになってくださった、主イエスの十字架を想います。
わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。ローマの信徒への手紙5:8
   

2006/01号
 

ここ掘れワンワン

 私の母は戌年で、何でも大事にとっておく習性があります。約3年前にケーキ屋を廃業した私は、母が居酒屋をしていたこの場所で、今の店を始める事になりましたが、そこは私から見ると、ガラクタの山でした。母は「ここは宝の山だよ。」と言いましたが、私はこんな所で店ができるかと、ボーゼンとしました。特に最初の年は、大変つらく、お客さんがほとんどない上に、他人の妨害やいやがらせが多くありました。そんな時聖書の言葉で、「ひたすら掘る」という事を示されました。そして、どんどん掘っていくうちに、どんな逆境にも勝る宝を見つけました。それは”この店でお客様にいただける。”という事です。いい日ばかりではないですが、今年もこの地で、その事を掘り下げていきたいと思います。
「イサクはそこから移って、更にもう1つの井戸を掘り当てた。それについては、もはや争いは起こらなかった。」 創世記26:22
 
   

2005/12号
 

ラブレター

 私は、あまりラブレターをもらった事がありませんが、この店をオープンした頃(3年前)のX'masにぶ厚いラブレターをもらいました。送り主は神様で、表には「聖書」と書いてあります。私は毎日、このラブレターを読みます。1日3章ずつ読むとちょうど1年で読み終わりますが、意味が解らない所や退屈な所もあって、途中で寝てしまう事もあります。しかし、一貫して書かれていることは、神様は、私を愛し、全ての人を愛しておられるという事で、「あなたには価値がある。」「あなたは愛されるために生まれた。」という事を常に語りかけます。今年もX'masのあかりが燈り始めました。12月25日は、2005年前神の愛が、虐げられていた人々や病に苦しむ人々、思い悩む人々の間に、そっと宿り、完全に現れた事を祝う日です。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛してる。」 イザヤ43:4
 
   

2005/11号
 

石(イス)の上にも三年

 店がオープンして以来、イスみたいな台(グラグラします)の上で、旗を振っています。この小さな無名の店を、できるだけ多くの人に知って頂きたいという動機から始めました。はたから見たら、大変奇妙な行為で、反響も賛否両論ですが、「旗振りを見て、来ました。」という方は、後を絶ちません。最近、肩を傷めて旗振りの時間も短くなりましたが、三年間続けて来られたのは、通る度に挨拶してくださる方、バスや車から手を振ってくださる方、毎日のように通る方々の励ましによるものですが、私が、大いなる意志の上に立って、生かされているからに他なりません。
「我らがあなたの勝利に喜びの声をあげ 我らの神の御名によって 旗を揚げることができるように。」 詩編20:6
 
   

2005/10号
 

いつもそこに

 私の休日の相棒は、250ccのバイク「クロスくん」です。心をリフレッシュするために、日南海岸まで走りに行くのがとても好きです。堀切峠の最終コーナーをぬけて広がる海は、いつも絶景です。若い頃、失恋してさびしい時などは、よくこの景色を見に行っていましたが、それは、今も変わらず、いつもそこにあります。私は、足りないものやうまくいかない事に気をとられて、ストレスを感じますが、すでに与えられている大きな愛を感じる時、私の魂は生き返ります。
「主は私を青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。」 詩編23:2〜3
 
   

2005/09号
 



 残暑はまだまだ厳しいようですが、暑い夏の対策として、水分補給に加えて、塩分補給が大切な事は、最近では常識となっています。料理においても、塩は欠かす事のできない調味料ですが、おいしい料理を食べた時に「この料理塩が入ってるの?」と聞く人はほとんどいません。しかし、ありふれたものほど大切だったりします。人は、その人生の中で、ありふれた事しかできないかもしれません。しかし、自分らしく生きて、使命を果たす事は、最大の富であり、財産であると、私は思います。
「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。」 マタイ5:13
 
   

2005/08号
 



 先日、「今、会いに行きます。」という映画を見ました。この作品は、甘く切ないラブストーリーですが、単なる「純愛映画」ではなく、全ての人々に関わる大きな意味での「愛すること」を語りかけています。このタイトルには、「いま、愛に生きます。」という意味も込められているそうです。人は人生を選びとって生きることができますが、花は自分で咲く場所を選ぶ事ができません。しかも、自分の美しさを見る目を持たず、香りをかぐ鼻もありません。しかし、置かれた場所でベストを尽くします。限られた人生の中で、私はどんな愛に生きる事ができるであろうか・・・。
「花びらのように散ってゆく事、この世界で全て受け入れてゆこう。君が僕に残した物、今という現実の宝物。だから僕は精一杯生きて花になろう。」 オレンジレンジ 花 より
 
   

2005/07号
 

世界で最も

 「名前とは、その人にとって、世界で最も美しく、短い詩である。」と、ある人が教えてくれました。あなたも、素晴らしい名前を持っておられる事でしょう。私の場合、両親の出逢いが教会だった(?)という事もあって、「聖書を悟れ」というご命令付きの名前がついています。しかし、聖書を学び始めるまでに29年もかかりましたが、神様はその長い間、黙って待っていてくださいました。ちょうど、主イエスのたとえ話に出てくる放蕩息子の父親のように・・・。どん底の中で、走り寄る神の愛に再び迎えられた私は、清水町教会で日曜日は教会学校の教師をして、子供たちと共に聖書を学んでいます。
「肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。」 ルカ15:23〜24
 
   

2005/06号
 

ジャスミンの花

 今年も店の西側に、白いジャスミンの花が咲きました。もともとは、小さな鉢植えで、1度は枯れてしまいましたが、母が植えかえてくれて、大地に根をおろし、たくさんの花をつけています。この花を見る度に、事故で手足の自由を奪われたことによって、口に筆をくわえ、素晴らしい花の絵と詩を描く人となった星野富弘さんの詩を思い出します。
 なげやりに ただ なげやりに そんな あなたに ジャスミンの花
落ち込んだ時、生きて行くことさえもいやになった時も、主イエス・キリストの愛は、あなたの傍らにも、そっと咲いています。
「だから、明日のことまで思い悩むな。明日の事は明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」 マタイ6:34
 
   

2005/04号
 

パッション(受難)

 パッションとは、主イエス・キリストが十字架の苦難にあわれた「究極の愛の出来事」を指す言葉です。主イエスを十字架にかけてしまったのは、人間の虚栄心や利己心などの自分中心な罪の連鎖でしたが、主イエスは、そんな人間を罪から救うために、自らを犠として神と私たちのとりなしをしてくださいました。私は気が短く、意気地なしで、元妻に手をあげた事が何度かあります。こんな私の罪のために流された主イエスの血潮に感謝し、心が新しく生まれ変わったと信じて、残された使命を果たしていきたいと思います。
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」 Uコリント5:17
   

2005/02号
 

ふるさと

 今年の正月は、鹿児島の私の故郷へ10年ぶりに帰りました。この10年間、仕事に追われ、故郷を想う余裕すらありませんでしたが、ふるさとの風は優しく私を包んでくれました。小さい頃通った教会や学校、住んでいた家などを訪ね、いろんな人に会う事ができました。ふるさとの思い出は、楽しかった事と同時に、つらかった事や失敗した事もたくさん浮かびますが、どんな時も傍にいて、全てを知り尽くされている存在がおられる事を知って、全てを感謝する事ができます。
”いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんな事にも感謝しなさい。”テサロニケT5:16〜18
   

2005/01号
 

ラストサムライ

 先日、「ラストサムライ」という映画を見ました。それによると、「侍」とは「仕える者」という意味で、そのために日々自らを厳しく鍛え、戦になると命を賭けて戦います。そして、肉体の再期を遂げる時、いかに納得して目を閉じる事ができるという事をこの映画は語りかけています。私達日本人はこのように素晴らしい血を受け継いでいます。今年もまた生かされて、それぞれの場所で、その人にしかできない使命を、どのように果たす事ができるのでしょうか?イエスはお答えになった。
「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」 マタイ4:4
   

2004/12号
 

Leprechaun X'mas(レプラコーンクリスマス)

 レプラコーンとは小さな老人の姿をしたアイルランド伝説の妖精で、いつも靴の片方を持ち、修理しています。踊る妖精の靴を修理して得た財宝をかくし持っていて、捕まえると幸福をもたらすと伝えられています。誰でも、幸せになることを望んで日々奮闘しています。しかし、幸福とは私たちがいつも見逃している小さなもので、いつもそばにある当たり前の事かもしれません。今年のX'masも、いつも愛されている喜びから始めたいと思います。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が1人も滅びないで永遠の命を得るためである。」 ヨハネ3:16
   

2004/10号
 

マリーナ

 10月14日で私の娘は6才になります。英語の「マリーナ(港)」からとり、目指す目標に向かって、人生の旅路を進んでほしいという願いをこめて「まりな」と名付けました。そして時には、港で人々が重荷をおろし、憩う事ができるように、周りの人々に安らぎを与える人になってほしいと願います。主イエス・キリストは言いました。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」 マタイ11:28
   

2004/09号
 

Good Luck

 私が独身の時、黒い猫と一緒に暮らしていました。その頃の私は、あまり良い事がなかったので、黒のBluckと幸運のLuckをかけて「ラック」と名付けました。それ以来私の人生はどんどん良くなり、妻とも出逢う事できました。そして小さい頃からの夢だった、自分の店を持つという幸運に恵まれた時、ラックはフッといなくなってしまいました。また、どこかへ幸運をもたらしに行ったのでしょうか。もし、まっ黒くて、赤い首輪の猫を見かけたら、「ラック!」と呼んでみてください。あなたの人生にもGood Luck!
   

2004/08号
 

生きた水

 ある人が教えてくれました。「人生、成功の秘訣は水のごとく。」時には細く、時には太く、時には丸く、そして時には激しく岩をも砕く。水はあらゆる事に柔軟に対応しますが、その本質は変わりません。また、「流れる水は腐らない。」とも言いますが、人間の考えを超えた「生きた水」があることを私は知っています。この水が心の内で泉となり、あふれ流れて私に係わる全ての人々に届きますよう、願います。
   

2004/07号
 

笑顔のために

 私は2児の父ですので、子供たちと仮面ライダーやウルトラマンを一緒にみる事があります。大人の私から見ても、かっこいいものです。しかも戦士は、他人のために命を賭けています。私には命を賭ける事はできませんが、「みんなの笑顔のために、おいしい料理を作る」ことができます。「おいしいね!」と言ってくださるお客様の笑顔を見られる事は、とても幸せな事です。そして、その笑顔は、創造主の笑顔を映し出します。
   

2004/06号
 

必要とされること

 今から10年前に、人情屋台という所で鉄板焼の仕事を始めました。深夜の仕事は、ラクではありませんでしたが、この仕事を3年続ける決心をしたきっかけは、「やまちゃんがいてくれてよかった。」という千里師匠の一言でした。そして3年たった時、その店を引き継ぐ幸運に恵まれました。誰かに必要とされること、そして、「あなたがいてくれてよかった。」と言ってあげること、それが何よりです。神様の目には、みんな高価で尊いのですから。
   

2004/04号
 

あなたの旗振り

 私は開店時間に旗を振っています。それを見てご来店してくださる方がたくさんいらっしゃる事は、とてもありがたい事です。「あなたは、なぜ旗を振るのか?」と時々尋ねられます。理由はいろいろありますし、楽な事ではありませんが、1つあげるとすれば”自分でやると決めた事”だからです。あなたにとっての”旗振り”は何でしょうか?”あなたが自分で決めた事”それがあなたの使命で、周りの人々に喜ばれるものであれば、それはきっと、多くの実を結びます。
   

2004/03号
 

チャンスの神様

 昔、こんな話を聞いた事があります。「チャンスの神様は、前髪はあるが、後ろはつるつるで、通りすぎてからではつかめない。」また、「チャンスは人生で3回しかない。」という人もいれば、「いや、7回だ。」と言う人もいます。確かにチャンスをつかむ準備は必要ですが、神様は、そんな心の狭いお方でしょうか?私たちは、大きな神の愛の中で生かされています。あきらめないで、勇気を出してください。チャンスの神様は、いつもあなたのそばにおられます。

十神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。
ヘブライ人への手紙 13:5
 
   

2004/02号
 

こんな私でも

 私は日頃、「やまちゃん」と呼ばれています。しかし最近は「私はクリスチャンです。」と自己紹介する事が時々あります。人々は驚いて「あなたがクリスチャンですか!?」と言います。私は「こんな私でもクリスチャンです。」と答えるでしょう。洗礼を受けた今でも、私は心の中に悪い部分を持っています。しかし、主イエス・キリストの十字架と復活によって、特別の恵みを受けています。この神の愛は、あなたの所へもすでに届いているのです。
   

2003/12号
 

あなたに逢えたこと...

 ずっと、強がって生きていました。いつも「私が、私が」と我を張って...
29年間生きてきて、やっと気がつきました。いつもあなたが助けてくれていた事、いつも支えてくれていた事。あなたの優しさにふれて、自分の弱さを知りました。そして、本当の強さに守りれている事を知りました。あなたに逢えたこと、クリスマスの夜に心からお祝いします。
 
   

2003/11号
 

母の祈り

 私の母は、人に自慢できるような人ではありません。しかし、私が今までで一番苦しい時、一生懸命祈ってくれた人であり、人が生きていく上で一番大切な事を教えてくれた人です。年々、青少年が犯罪に巻き込まれる事が多くなっているように思います。子供にあーしなさい、こーしなさいという前に、祈ってくれる母親がどれだけいるだろうか.....?
 
   

2003/10号
 

悲しみの向こうに

人生には、さまざまな悲しみや苦しみがあります。時として、目前の試練にさえぎられて、明るい未来を見失ってしまう事もあるでしよう。しかし、やまない雨はなく、その後の虹のように、私たちは悲しみの向こうに、光輝く未来が待っている事を知っています。さあ!立ち上がり、勇気と希望をたずさえて光の道を歩き出しましょう!
   
 
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